仕事だと人格変わるんで・・・ [素朴な疑問]
プロとしてのプライド、
なのだよ。映像は。
珍しくグチを言わせてもらうと。
我々はテレビ局に勤めていて、
自らの手でENGカメラを回して
自分たちだけの絵を撮る。
1分のストレートニュースだからとかなんとか。
尺が長い短いとか、そんなの関係ないんだよ。
1分のニュースだって電波にのせて500万人の市民に見てもらう。
テレビ局に与えられた権利で
私たちはそんな放送という世界のプロなんだ。
最近はお金がかからず
混乱も少ない代表取材で
素材を各局やりとりするというのも増えてきたけど
それでも撮れるものなら
うちのカメラで自分たちで撮りたい。
みんなそう思ってると思う。
映像は宝だから。
殊にうちのイベントなら。
なんでほかの記録のための映像とかで
やり過ごす意味がある?
ENGで映像が撮れるという
素晴らしさと貴重さが分からないなんて。
だからきょうは滅多に言わない愚痴を言う。
会場が狭いとか短いニュースだからとか
もったいなくて。
そんな考え方が残念で。
もし私が担当者なら
そこだけは真っ先に確保するところ。
なにかありました? 短いから・・狭いから・・
そんなの問題ないと思います。
一瞬一瞬を大切に、プロと言うより自分の信念を
通して頑張ってください。プロは「責任」ととらえてます。
by 番長 (2010-01-07 11:06)
番長さま
ちょっと珍しく憤ってしまいご心配をおかけしました。
きのうその会社内のやり取りを近くで聞いていて・・・。
やっぱりどんな立場であれ
テレビマンである意識は高くありたいと
感じた日でした。
実は以前、私とその人で同じようなやり取りをしたことがあって・・・
そのときはその意識のあまりのギャップに
その人に直接怒ったのですが。
全く伝わってなかったようで
ますます昨日のやり取りが悲しかった次第です・・・。
多少狭い社会の話で申し訳ないです☆
by kko (2010-01-08 01:02)
例えば かつて3分しかまわらないフィルム時代の優秀なカメラマンを知っている人が 滝を撮ろうとしようとします。
今のカメラは優秀だから どれだけでも記録できる。その人は優秀ではないので いろんな角度から撮ってみる。
その人が撮っているポイントの右サイドには とても険しい山があったとします。
そこを無理して登ると結構いい映像が撮れそうだけど、しんどいし、なにせ危ない。そこまで無理しなくていいかな、なんて思ったりして、とにかく登ることはしなかったりします。つまり無難ってことですね。
その人がその場を離れて、ふと優秀なカメラマンを思い出したりします。
「あの人は、3分しか回らないカメラでも きっとあの山を登ったんではないだろうか?むしろ3分しか回らないから登ったんではないだろうか」
誰かにしっかり見てもらうために、先人は知恵と工夫と努力をして
テレビは偉大なメディアになりえた。なにげない映像の中で、 人の心を捉えることが出来たのは そういうことだったのだろうと反省した40になりたての初春です。志は失ってはいけないね。相変わらずでなによりです。
by しん (2010-01-08 21:54)
しんさん>
なんてわかり易い表現・・・そうですよね、無難で済ませるのは凡人ですね。
プロならば「どうやって撮影したんだろう」って思わせるような撮影、技法が
必要ですよね! アマでもプロ並みの人が居ますが、やっぱり志が違います。
私も「本物」を目指して頑張りたいとおもいます。
by 番長 (2010-01-09 00:06)
しんさま
泣けます。
私はけっこう不安なんです。
私はこういうことで憤りを感じ、怒る。
だけどそんな私は合ってるのか間違ってるのか、
それさえ分からなくなる時がある。
だからしんさまのような存在が
私をホッとさせます。
ずっと素晴らしき理解者で
私は間違っていないと
少なくてもホンモノノテレビマンは
まだいるんだよと教えてくれる。
これまでも92さんとしんさんは
私の救いでした。
これからもこんな感じで(笑)
誰か聞いて、
こんなんでいいの!!?
と憤った私に
光をくださいね。
幸せな40路をひた走る
しんさんに
ますます神様の祝福がありますように。
by kko (2010-01-10 00:23)